2009年7月 1日 (水)

カテーテル心臓検査と治療(3)

思いがけない造影剤のアレルギーとの闘い

(2)  では結果の画像だけ掲げて、如何いう治療をしたのかの説明をしてなかったので、あらためてカテーテルとステントによる治療の概要を紹介しておこう。

治療の内容は図に示すとおりだ。

Photo_2

さて、退院予定のはずの、第2日目。この日は、何の説明も無くこの日は退院できず。自覚症状としては何事も無いのでしたが、ずーと点滴が続く。造影剤を排出するために水を飲むようにといわれたが、ドレくらい飲めば良いのかの指示も無く、食事も美味しい。病院食としては美味しい方だ。なんて暇をもてあまし、丁度持っていた今年の旅行計画の「プロバンス・コートダジュールのガイド書」を読んで過ごしました。そしてまたもう一日退院できず。

さて、その次の日。午後先生の説明があり。退院の予定。とのこと。ただ連絡が悪く退院の指示が来ない。

とうとう昼食が出てくる。「退院はどうなった??」看護師に聞いても「先生から指示が無いので」と先生が来るまで待つように。と言うだけ。

偉い先生に診てもらうと、忙しいのでこうなるのかと思ったが、やはりそれでも偉い先生に見えもらう方を選ぶだろう、何しろ心臓のことだからね。多少のことは仕方が無いかと思いあとは我慢の子。診察室まで点滴の架台を転がしながら行って様子を見ると患者が一杯。これではなかなか

手術の済んだ患者のところへ来る暇は無いな、と言ってもこのままでは敵わない。

しばらくして大先生の代わりのドクターと看護師が来てくれて「退院なので」ということで点滴をやめ。右手首の血管の止血帯をはずしてくれた。今までこの手術でただ一つだけ痛みがあった右手首はこれで見事に痛みから解放された。(そうかこの痛みは締め付けから来る痛みだったのかと了解。と言うことはこの手術ではこれ以外の痛みはまったく無いというわけだ)

点滴の架台から開放されて、ますますもう帰るぞ。という気持ちは高まるが先生は来ない。

昼食が出てきた。食欲なし。むかむかして気持ちが悪い。

とうとう15時を過ぎ。この分だと今日も帰れなくなる。そのうちコーデネータと称する婦長さんのような方が様子を見に来たが、やはり先生の指示が無いのでそのまま待つようにとのこと。

仕方が無いので会計にきいたら退院との事で計算しているところだと言う。やはり退院と言うことは間違いないらしい。でももう夕方だ。

ナース室に聞いたら先生が来ないで退院する場合もあるという。

仕方が無いので会計を済まして帰ってしまった。

実はこの日の朝から胸がむかむかして食事が殆ど摂れなくなっていました。帰途の電車の中では「顔も洗わず髭ぼうぼうの「死にそうなオジイチャン」に見えたに違いありません。学生その他若い人たちが、直ぐに席を譲ってくれました。「苦しいながら、ウン日本も捨てたモンじゃない」なんてチョットだけ嬉しくなっていました。

さて、なんとか帰宅したものの、どうにも気分が悪く、どうしてこうなったのかの原因も分からず、あいかわらず食事は出来ず、のた打ち回って、翌日朝5時過ぎにたまらず、かかりつけの藤沢の病院へタクシーで行き、入院させてください。と頼み込みました。しかしたまたま夜勤の先生は、顔見知りの放射線の先生。その他に病棟の夜勤の先生も来てくれたが、決定的な診断は出来ず。内科の先生が7時頃に出勤してくるまで救急室のベットで横になって待った。

病院ではドクター以外は決定権が無い。当然のことながら責任権限のはっきりしている病院の仕組みに感心していました。

親切な看護師さんが、救急室の処置台の上で横になるよう手配してくれたので、しばし横になりかかりつけん医師の到着を待った。

やがてかかりつけの内科の医師が出てきて、事情を聞くと、直ちに原因はCTでの造影剤のアレルギーとの見立て、流石はベテランは経験豊富。ヤット入院許可が出て、ベットに飛び込み、点滴の治療が始まりました。造影剤のアレルギーとは夢にも思わず自主退院して出てきて悪かったな。なんて反省もしていました。でもそんな説明はまったく無く、ほって置かれたのだから仕方ないよね。と自分に言い聞かせていました。

それに点滴は同じ薬をやっているのだが点滴のスピードがあちらの病院ではここの3分の1くらいであれでは、なお数日かかったはず。出てきてよかったと思いました。

胃がすっかりやられたらしくこの1日目はここでも食事なしで点滴のみ。2泊してようやく御粥から食事開始。土曜日の13日に退院しました。

15日からヤット何時もの食事に戻り生活は平常に戻りました。

これからは時々気にしていた「狭心症」の悪夢に追われることなくのびのびできるようになりました。まだまだ

はめ込んだステントが上手く落ち着くまで、数回の検査があります。取り合ず。1ヶ月目の7月15日それから3ヶ月目6ヶ月目12ヶ月目の一泊かけての検査があります。

スポーツクラブの水泳仲間(殆ど女性)に手術のことを話したら、私もやっている。家のお父さんと同じ、なんて声があり、心臓冠動脈にステントを入れている人が多くビックリしています。インタネットで調べたら造影剤のアレルギーではきわめて少ないが死亡の例もあるとの事でこれもビックリでした。たかが造影剤とはいえないんですね。

さて今後の検査の時造影剤をまた使うと思いますがどうなることでしょうかね。大先生の後始末をお願いしたかかりつけの医師は「何とか対策を講ずるだろうと思いますがアレルギーのことですから何もなしと言うわけには行かないのでしょうね。」なんていっていました。また今度のことの繰り返しはしたく無いんだが、大先生頼みますよ。と祈る気持ちです。

最後におまけのお話。

藤沢の病院から退院する時、病院からタクシーを呼んで帰ったのですが。道々今回の手術の話を運転手さんに話したところ、運転手さんのお話「実は3年前(5年だったかもしれない)。叔母が心臓が悪くて平塚の病院でバイパス手術をしたんですよ。それで現在も元気でいるんですよとのこと。

私「それで担当の医師の名前はなんと言うのですか」運転手さん「確かミスミ先生といいました」私「えっつ私の先生もミスミさんというんですよ」

何と凄いめぐり合わせではありませんか・・・・・・三角と書いてミスミと読む先生そんなに沢山無い苗字。いろんな場所で活躍されたらしいので多分同一人物だろうと思いますが、こんなこともあるんですね。・・・・・

果たして同一人物か??次回検査の時先生に確かめてみようと思っています。

カテーテル心臓検査と治療(2)

検査そして大先生自ら担当で手術

その日からは、その病院への道順調べ。鉄道地図、時刻表、その他参考になる情報をインタネットで集めるなどやりました。M先生の経歴などがインタネット上にあったので、一応目を通しておきました。

さて当日になりました。10時頃外来の受付に行き、検査を受けたいと申し出ると間もなく「診察券」と「受診用の書類」が入った書類ケースを渡されました。後は診察室が3つ並んだ前の待合室で呼ばれるまで待つ。という病院のお決まりのコースに入りました。ところが検査が「普通の心電図」「血圧測定(両腕と両足を圧迫帯で締め付けて・・・脚をやるのは初めての経験でした)」

何時も使い慣れている、血圧測定の器械が待合室にありました。計ってみると、緊張のためか上が150下が75とかの高血圧でした。そのせいか、私の血管は90歳相当という動脈硬化だという結果になっていました。普段は120の60位なのに・・・これは何時か再測定しててもらう積りです。

そのあと心臓のエコー検査。それぞれの検査時間は短いのですが、毎回1時間前後の待ち時間のため、最後の目玉の先端機器256列マルチスライスCT検査は17時頃でした。

さて検査が全部終わり、最後はM大先生の診断。大分待たされた挙句にヤット名前を呼ばれ、診察室に入り名医の先生に会う。

診断結果はカラーの見事な画像をモニター画面で表示しながらの説明。3本ある冠動脈のうち真ん中の1本が細くなっている。この真ん中の動脈が詰まると一番危ない。だから遠くまで来たので、帰ってまた出直すのでは大変なので、今直ぐ入院し、今晩即手術と言うのはどうかとの事。

それに、今晩は丁度テレビで手術の様子を撮影することになっているので、その撮影にも協力して欲しいとの事。

軽症だろうと思ってきたのが以外に重症。これでショック!!

そこへ診断だけと思ってやって来たのに今すぐ手術。これまたショック。

さすがに、しばし言葉が出ませんでした。

ここで、心臓と血管のことをチョットだけ紹介しておきます。全て手術が終わった後でインタネットで勉強したものですから、正直言って何も知らないで行って手術したということになります。

Photo_2

ともあれ心臓は図のようになっており、この心臓を動かすために右冠動脈と左冠動脈の2本の動脈で血を送り込んでいるとの事です。向かって右の左冠動脈は直ぐに2つに分かれているので、心臓の動脈は3本といわれているのだそうです。

図が小さいので、図の上ダブルクリックして図を大きくしてみてください。

さて、次に掲げた真っ赤な心臓の画像。これが世界に7台しか無いといわれていた。最新の心臓用のCTで撮った私の心臓の画像の一枚です。先生からは8枚の画像をプリントしていただいたのだが、これはその中の1枚です。静止画像の1枚では必ずしも明快に問題点は指摘し難いが。先生は動画で心臓を画面上で好きなようにぐるぐる回してみることができる。従って血管の問題点がよく分かる。一緒に見て説明を聞いている患者も同じ画面を見て納得と言うわけだ。

Photo

ここには冠動脈が前に掲げた心臓の略図と比べてみてください。前の図の右冠動脈は角度がずれているのでよく見えないが、この血管は、太くてたくましい感じだ。

だが右側の左冠動脈は全般に元気がなさそうだ。特に2本に枝分かれしているあたりで、向かって左下へ伸びる血管は途中で切れているように見える。実際には画像を回転させて見ると切れているわけではなく、細々とつながっているのだが。・・・・・・・・

成るほど、これなら何時血管が詰まって血流が止まっても不思議は無い。これを見たら手術は止める。なんて患者は居ないのではないか。これで患者は納得の上で手術の決心をする。と言うわけだ。

この凄い画像に説得され、あとは日本一の名医が執刀(カテーテルでやる治療は執刀とは言わないだろが)して下さるのだ。患者はただ手術台で横になってさえいればよいのだ。

この画像を見れば、いずれ手術は避けられない。それなら今すぐと言うのが最高。それにテレビ撮影となれば先生もばっちり頑張ってくれるはず。なんて考えました。言わば絶好なチャンス。

とっさの考えで、「私はOKお願いします」と返事。

しかし今日は検査だけと家内に約束をしていたので、一応家内のOKを取ってからというと、先生自ら携帯電話で家内に説明。治療をOKさせてしまいました。(説明の間は私は室外に出され、どう口説いたかは分かりませんでしたがね)

そこで私は、即入院。昼飯も晩飯もなしで、当日21時半くらいに手術室に入り、手術の正味時間は1時間半。終わった時は24時でした。麻酔はカテーテルやステントを入れる手首の血管の入り口だけ。治療の様子は全部見えていました。ただモニタの位置が私の方を向いているわけではなく、見えにくいので、チラチラ見ましたが大方は天井を眺めて、腕の血管部分だけに、かすかに分かるカテーテルの動きを感じていました。

治療は勿論成功。バンザイでした。

手術終了後、夜中に食事をして翌日退院の予定。

カテーテル心臓検査と治療(1)

病院とドクターの選択

旅行を中心に書いてきたブログに関係の無い心臓治療の記事で申し訳ありません。

でも私の健康は気分よく海外旅行をしたいと言うのが目的ともいえるので書いておきたい一大イベントでしたので「旅行記」の間に入れさしてもらいます。読みたくない方々はスキップしてください。

なお、文章が長くなりましたので、記事としては3分割で載せる予定です。

さて、私も80歳を過ぎて、いろいろな病気が勢いを増す時期を迎えています。

いずれ死ぬのは仕方が無いが、ある臓器が他の臓器の命とバランスがとれず、一個の弱い臓器に引きずられて体全体が死んでゆくのは馬鹿らしい。

私の場合、ここ10年ばかり「狭心症」との診断を受け。血管を広げる薬を朝夕に飲み、大きい発作が起きたときの対策として胸に貼る「ニトロダーム」を常時携帯していました。

(一遍も使ったことは無いが・・・)

最近はプールで泳ぐことが多いので、舌下錠の「ニトロ」に変えてもらっている。

ところで、私に取り付いているこの狭心症なるものの実態がよく分かっていない。分かるのは健康診断のときにやってもらっている「心電図」だけだ。ドクターはこの線がここであがっているので云々と説明してくれる。・・・それで正常で無い事は分かるが何とも頼りない。

私の健康への最大の脅威である「狭心症」の実態をこの目で見たい。出来れば見えたその病気をやっつけたい。そんなことを考えて過ごしていました。

ところが最近は心臓や循環器辺りの医術が急速に進歩し。「心臓移植」「バイパス手術」

「カテーテル検査」「カテーテル治療」などが急に私にも適用できる時代になりつつあるようだ。

そこで書店で「循環器治療の病院のランク付け」とか「循環器手術の名手のランク付け」などの本で調べていました。

それらで分かったことは、日本の最高の病院は千葉にあること。我が家の近くにもランク20位の病院があること。などを把握しました。あまり遠いのでは困るのではと思い、

20位ならいいじゃないかと思い、また病院は20位でも、カテーテルによる診断や手術の名手の医師がいることも分かりました。そんな訳で、その病院で検査を受けて目で見えるように病状を明らかにしてもらい、場合によっては手術をしてもらう。・・・こんな風に決心が固まりつつありました。

ところが週4回通っているスポーツクラブの水泳仲間の、お友達Sさんから、ある日新聞のコピーをもらいました。

その記事の表題は「心臓カテーテル検査はもう古い。日本初の心臓CT検査による負担が少ない検査」著者は、T病院・院長・M医師。というものでした。

この記事で20番目の病院で検査。状況によっては手術も・・・と言う考えは、一気に吹っ飛んでしまい。遠いがこの病院のM先生に見てもらうことに変わりました。なぜかというと20番目の病院とはCTの機械が違うと言うこと。カテーテルを使わずCTで精密な画像による診断が出来ると言うことです。何よりも自分の心臓の状態が画像で見れると言うことが魅力的でした。

そんならカテーテルをぶち込む回数が、診断だけで済む場合は0回で済む。治療が必要な時だけカテーテルを入れればいいのだ。自分の病状が軽度で、診断だけで済むようなものだったらこの方が嬉しい。診断のためだけに血管の中にカテーテルを入れてゴシゴシされるのは御免だ。誰でもそう思うに違いありません。

私の場合。年に12回の軽い発作(3分前後胸が締め付けられるような感じになる)だけだし、かかりつけのドクターも血を流れやすくするための薬を朝夕に飲むよう指示しているだけ。これで10年以上なんとも無く過ごしてきたのだから大したことは無いんだろう。多分その凄い機械で画像で見ることが出来れば「軽症なのでこのまま薬を飲むだけでいい」と言う答えになるのではないか・・・などと甘い結果を予想していました。

そこでプリントにあった病院に診断を申し込んでみました。そんな有名な病院なら、多分相当待ちがあって数ヶ月先になるのではないかと思いきや、毎週月曜日には外来で来た循環器の患者は予約なしで診断をしているので月曜の11時までに来なさい、とのこと。

なんだかチョット大袈裟に考えていただけにあっけに取られた感じでした。しかしそうなら早い方がいい。と思い。一番近い月曜日、68日に申し込んでしまいました。

2009年1月12日 (月)

地中海・エーゲ海クルーズ紀行(ローマ市内観光)

第5章 ローマ市内観光 9月24日

船は、朝7時チビタベッキア入港。そして夕方19時出港の予定だ。今日は、イタリアの現在の首都ローマ。ローマと言えば、あの壮大なシーザーのそしてクレオパトラの物語。かつて地中海を中に抱いて、ヨーロッパの大部分を傘下におさめた大帝国の都でもあった。観光としては超盛りだくさんの町だ。どうやって許された時間内に観光するか。大問題のローマ観光である。

例によってバスで約時間半くらいの道のりを、ローマへと急ぐ。

道路の周りは、黄色の実った麦。青々と茂った作物。木立の中の農家など、のどかな田園風景がDscf170220Dscf169720く。

Dscf170120 

 

ノンビリムードで居たのだが、ローマへ近づくと、予想されなかった大渋滞。添乗員のTさんも初めての混み具合との事。バチカンで待っている現地ガイドさんも待ちに待ったらしい。

予定を大幅に遅れてヤットバチカンの近くに到達。見ると信者の団体と見られる、旅行者の群れがDscf170520Dscf170420バチカン目指して続々と詰め掛けている。

何故渋滞したかがようやく判明。丁度この日に法王様謁見のミサがあったのでした。バチカンの大広場は人人・・・・。で満ち溢れていました。

バスが遅れたけれども、世界中から法王さまから招待された信者の皆さんと一緒に、法王様の顔を拝める。声も聞けるとは思いもかけないチャンスにめぐり合ったわけでした。

私は、バチカンには、4回目の観光でしたが、普通ならとても法王様の顔を拝むことなど出来ません。

しばらく待つと、白衣の法王さまのおでまし。説教というのでしょうか、穏やかの調子で信者の皆さんへのお話。あの大きな広場。前の方には信者たちがビッシリと詰めて聞いていました。

私達は出来るだけ前に進んで法王様を見ようとしましたが、信者達との間には区切りがあって、豆粒のような法王を見るだけでした。

でも何も知らずに来て、このときに居合わせたということは、なんという幸運でしょDscf170920うか。特に忙しい時Dscf171620なので長Dscf171720居はゆるされない。

 

写真は、右からサン・ピエトロ寺院真ん中の写真はこの寺院の広場に向かって出てきた法王(真ん中の暗いところから白衣の法王が出てきたところ)右側の写真には遠くの信者に見えるように背とした大画面のテレビ。法王が映っている。

私達は、めぐり合わせに感謝して、次の観光ルートに乗りました。でも初めてバチカンに来た人はどうだったのでしょうか。バチカンに来ながら、広場に入っただけで本堂にも入らず、本堂の中にある絵画や彫刻も見ず。です、嬉しいこともありましたが、ミケランジェロの「ピエタ」をもう一回見たかったね。など残念の気持ちもありました。出来ればシステーナ礼拝堂もでしたが、これはまあ無理ですね。

さて、もともと短い時間に盛り沢山の観光スポット。

ガイドさんも添乗員さんも困ったと思います。結果は以後の観光は、殆ど車窓観光でした。通過した道路も何となく観光の正規道路と言うよりは、裏道みたいなところを通っていたのではないかと言う気がしました。

過去3回も来て見ているのですが、今回はどうも違うという気がしました。ただ写真はバチバチと車窓からも撮っていたので、後で添乗員さんの記録と付きあわせ、なるほど殆どの観光ポイントをカバーしているなーと感心しました。

簡単に通過および下車したポイントを書くと以下のようです。これは、添乗員さんのメモ書きしたものをもらって書いたものです。

出発はバチカンのサン・ピエトロ寺院→サンタンジェロ城(あの丸い城です。チラリと見えました)でも物陰から見えたということで正面からあの見事な円形の建物が見えたわけではありません→その後、テベレ川沿いに進む(この川の中島には医学の神の神殿が建てられたとのこと)現在は、16世紀から続く病院がある。→アルジェンテイナ遺跡→市庁舎(ミケランジェロ作)→ビットリオ・エマヌエレ2世記

Dscf172820館(これは20Dscf173220紀の建造物Dscf174020

写真は左から、テベレ川越えにサンタンジェロ城がちらりと見える。真ん中の写真は、テベレ川にかかる橋の一つ、右の写真はビットリオ・エマヌエレ2世記念館(正面から写せば真白い建物が見事な建物なのだが)

→ベネツイア広場(ベネツイア大使館前の広場現在地下鉄工事中)→フォリ・インペリア通りの両側にはトライアーの市場

→フォロ・ロマーノシーザーの神殿跡・工事のフェンスで見にくかったが)→正面にコロセオしかし警Dscf174420察のDscf174620コントロールのため、チルコマッシモ(ベンハーの舞台)

Dscf175820_2

写真左からベネツイ広場。真ん中はフォノロマーノ。右はベンハーの競馬場

 

→パラテーノの丘(ローマ建国の聖地。帝政に入って歴代の皇帝が宮殿を建てて住んだ。これらを車窓で、観光オッピオの丘にてバスを降り、コロッセオへ。そしてコンスタンチヌス凱旋門紀元315年建設。(ナポレオンはこれを模してパリに凱旋門を作っている)→サンタマリア教会(5世紀ローマの重要な4つの教会の一つ。4っつとは、サン・ピエトロ寺院・サン・ジョバンニ寺院、サン・パウロ教会とこの教Dscf176020会)→バルベリーニ広Dscf176620場(トリトー根の噴水)→

Dscf176920 

 

写真は左から、パラテーノの丘、コンスタンチヌス凱旋門

ベネト通り(高級カフエやレストラン・ホテルが並ぶ。その一角にはアメリカ大使

館がある。日本大使館Dscf179420Dscf182220近くだ。

Dscf182820

   

写真は左から共和国広場。真ん中は遠くから見えるエメラルド・プリセス号

最後はエメラルドプリンセス号のお尻。

バスを降り三越にてショッピング→クリナーの丘の下を通っているトンネル付近でバスを降り、トレビの泉にコインを投げて帰船。帰りは1時間30分で到着。

ああ何と忙しい観光だったことか。今このブログを書きながら、ようやく自分で観光したところがそうだった。と確認できたと言うことでした。写真の主なるものを掲げておきます。

2009年1月11日 (日)

地中海・エーゲ海クルーズ紀行

第4章 フィレンツエ市内観光9月23日

朝、船はリボルノ港についている。この日はフィレンツエの市内観光である。リボルノはピサの斜塔で有名なピサの近くの港である。

バスで出発。フィレンツエまでは150キロ近い道のりである。陸の内部に深く入った都市の観光には往復時間が長いので、例えばフィレンツエの場合、前日にその都市に宿泊した場合に比べ34時間観光にかける時間に差が出てしまう。

これがクルーズによる観光が一つの問題点となる。でもそれ以上クルーズの船内の施設やエンタテメント。移動に伴う荷物の取扱時間の煩わしさの排除。病気などの時の安心感。などがクルーズ旅行の利点となっている。どちらを選ぶかである。

このフィレンツエの市内観光はその意味でクルーズ旅行の問題点と特徴が明らかに見えた観光であった

バスは、出発間もなく遠くに「ピサの斜塔」を見ながら、高速道路を進む。車窓にはしばしDscf163020地中海を右Dscf163520に見て南下するが、やがて進路を東にとって進む。

 

写真はエメラルド・プリンセス号。そしてトスカーナ地方の周りに続く山野の風景。

回りはひろびろと続く畑。時には青々とした農作物。黄色に実った麦??のようなもの、羊の群れなど・・トスカーナ地方という言葉がガイド書に良く出ているが、この辺のことであろうか。なお途中に大理石の産地と言うあたり、白く輝く石切り場がローマの歴史的建物や彫像の素材だったのか、と私達を納得させる風景もあった。

やがてフィレンツに入る。

アルノー川にかかる有名なベッキオ橋ガ見えてきた。バスはそのまま町の小高い丘の上の「ミケランジェロ広場」に到着。しばし写真タイム。

フィレンツエの絵葉書的景観をしっかりとカメラに収めました。例の赤い屋根の大

聖堂の屋根がフィレンDscf164020Dscf164320エだぞーと頑張っているような眺めでした。

写真左がベッキオ橋。右はミケランジェロ広場から見たフィレンツエの町です。

やがて、丘を降りて、フィレンツエの中心あたり、フェラガモ本店横でバスを降り、あとは徒歩。

ベッキオ橋:シニョーリア広場(ベッキオ宮殿の前。コジモ1世の像:ダビデ像などなどがある。)ドウオモ広場(サンジョバンニ洗礼堂:天国の扉)など。フィレンツエの観Dscf1654a20光の目玉地区Dscf166420である。

 

写真左は、ベッキオ橋近くのアーケード(左手前方にベッキオ橋が一部見える)

Dscf165920真右はDscf166020、フィレンツエの基幹を作ったともいえるメジチ家の第1代の当主のコジ

モの像。

 

写真左はダビデの像。右はメドウサの首をとったぺルショウスの像。

今日はマルセイユと違い。ガイドさんも解説に熱が入る観光であるが、クルーズの観光はなんだかあっさりとしている。クルーズのメンバーは多分こんな名所はすでに1回以上来ているとの判断による物かもしれない。

そうでなければ、やたら混雑している状況で、他のグループとごちゃ混ぜになる環境が、ガイドさんに何となく忙しい解説をさせて居たのかも知れない。

私達は2回目で最初葉勿論クルーズでない一般のツアーで観光している。だから解説が多少聞こえなくても、前回丁寧な解説つきで見ているので問題はないが、

初めてフィレンツエ観光の方も居るはずだ。

文句は出ていないが、初めての方は、文句がないわけでなく、文句を言う基礎的な

知識がないからだ。ともいえる。こんなことを考えながらガイドさんの目印の傘(ガイドさんはメンバーに自分の場所を知らせるために思い思いの色の傘を目印に高く掲げて歩いている)を追いかけているうちに午前の部をおわり、ここで昼食でした。

(クルーズでの昼食は殆ど船に帰って摂るのが普通でしたが、距離が長いため今回はここでとりました。美味しかったのですが内容は忘れてしまいました。観光があまりに多く忙しかったためでしょうか)

食事後はドウオモ(花の聖母教会)に入場。内部の観光。ヤット観光らしいことになった。赤い丸屋根が話題になり、丸屋根お根元のところには人間が歩けるような欄干のついた歩道が丸く作られている。

そこまで行くには463段の階段を歩いて上るのだそうである。上り口には二人の改

札係りの人がいた。また上まで行って降りてきた人の姿もあった。物好きも居るよ

Dscf167020だ。と面白がる私達もDscf167120同類かもしれない。

写真左は丸天井を内部から見たもの。丸屋根の根元付近に幾つか光のようなものが見えるが、これは上まで上った人が持つ照明。右の写真はその階段の入口である。

この丸屋根の設計はジョット・ブルネレスキで、彼の遺体がこの聖堂の地下にあるとの事で覗きに行く。写真の通り確かにあった。

Dscf167620

ここで解散。

ショッピングなど。そして帰途はバイパスを通って17時頃帰着。

この町の歴史を学べば、観光の興味は尽きない。金融で栄えたメジチ家の話が中心になろうが、暗殺を恐れたメジチ家の当主が作った宮殿から自宅まで歩いて帰れるように作ったベッキオ橋(この橋は2段になっていて下の段は一般の橋であり、上の段はメジチ家専用の渡り廊下になっている。そして現在はその上の段はウツフイ美術館とつながっている主として有名人の人物画像が掲示されているとのことである)

22日の記事に書いたが、この日の観光については、仕方ないことは良く分かるが、フィレンツエの観光からウフィツエ美術館の観光がないということはまさに画竜点睛を欠くの言葉どおり。で私はがっかりだった。フィレンツエの観光からこの美術館の見学がないなんて、大変な事だと思う。私はもう1回見たい絵が数点あり

今回の観光でまた見れることを楽しみにしていたのだが、がっかりであった。

このクルーズの企画者はフィレンツエの観光からスッパリとウフィツエ美術館見学を取り除いてしまった。このツアーの企画者は、凄い人なのか大馬鹿さんなのか、????

クルーズでは、あまり時間のかかる観光対象は期待してはならないようだ。観光より、船内のエンタテメントを期待する人が参加すべき旅行商品なのかもしれない。

2009年1月 5日 (月)

地中海・エーゲ海クルーズ紀行

第3章マルセイユ市内観光(9月22日)

朝、目が覚めた。船がゆっくりと動いている。昨夜2200にバルセロナ出航。朝の800マルセイユ入港と予定されている。

まだ800にはなっていない。入港の状況が見られるかもしれない。何しろはじめての船の旅だ。何でも見てやろう。

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急いで、カーテンを開けると、ローマの水道橋のようなものが見える。

マルセイユにローマ時代の水道橋があるのかどうか知らない。もし写真のようにはっきり見えたら良い記念だ。しっかり見ておこうとチョット寒いのを我慢してベランダの椅子に座って海岸の様子を観察する。しばらくして又同じような水道橋のようなものがある。(後で分かったがこの水道橋のようなものは(ローマ時代のものではなかった。)

しばらく眺めていると次第に港の施設が見え始めた。入港である。

さて、マルセイユに着いた。フランスの南の地中海沿岸の有名な港町である。でもマルセイユのことは何も知らない。

インターネットでの知識では、紀元前からの港で交易で栄えた。ちなみに南フランスの貿易・商業・工業の一大中心地とある。2005年の人口は82万人で、パリに次ぎフランス第2位。

港としては、フランスおよび地中海で最大。ヨーロッパでは第3位の港ということである。

観光面では、魅力に乏しい。とのこと。

港の入り口にはイフ島があり、モンテクリスト伯の物語で知られている。

なお、映画「TAXi」シリーズおよび「フレンチコネクシヨン2」ではここが舞台になっているとの事。このことは、帰国後インタネットを見て初めて知ったわけでそんなことならイフ島を観光ポイントに仕上げればいいのに。そうすれば、マルセイユの観光がもうチョット魅力的になるのではないか、

その他にこの忙しそうな港の管理センターなど、観光資源になるものを開発すべきではないか。折角クルーズの寄港地に採用されるなら、観光マルセイユ・プロジェクトを考えて見たらどんなものだろうか、市当局に提言したい。

あまり嬉しい観光でなかったので、こんなことを考えて、しまった。

ところで私自身では、マルセイユというと、子供の時読んだ、講談社「幼年クラブ」で読んだフランス革命に関する次のような物語が即座に反射的に出てくる。

マルセイユと言えばフランス革命の義勇兵が知られている。そしてその義勇兵達が

口ずさんだという歌、後にフランス国歌になった「ラ・マルセーズ」

子供の時にたしか「幼年クラブ」で読んだのだが、・・・・ 

物語は、革命の義勇兵が家を出る時、病気の妹を(恋人だったかもしれない)見舞う。そこで、妹が楽しみに毎日見ている蔦の葉があり、その葉から元気をもらっている。

そのことを知った兄は密かにその葉が落ちないようにそっと紐で結び付けて出て行く。やがて妹が病癒えて、何時までも落ちない蔦の葉が紐で結びつけられていることを発見する。・・・・この話がマルセイユの話。兄は多分戦死したのだろうがそのことは覚えていない。

どうして、こんな話が、しっかりと記憶に刻み込まれているのか分からないが、私はそのセイで、何となくマルセイユに親しみを持っているのだ。人間の記憶はどうなっているのだろうか。

観光とは関係ないようなあるような、お話を書いてしまいましたが、私達は、この

港に下船し、やがて市内観光になりました。

まずは、私達の船が着いた岸壁からしばらく行くと、この港が地中海第1の港であ

ることを物語るように沢山のフェリーが出発を待っている姿がありました。また港

には沢山の鉄道が引き込まれ、地中海と陸上を結ぶ大物流拠点であることを物語っ

ていました

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バスはやがて漁船やヨットその他の小さな船でゴチャゴチャといっ感じの港に着

きました。これが昔からのマルセイユの港。すなわち旧港というわけです。

ここでは、まだ朝市の名残か2組のお店が取れたばかりの魚を売っていました。

但し殆ど売り切れ状態でした。

多分もっと朝早くにくれば賑やかな朝市を見れたのだと思います。観光用の機関車

のようなものも走っていたので、多分ここは一つの観光スポットだったんでしょ

う。

でもこの時間ではもう観光の価値はありませんよね。ただこのあたりは映画に良く

撮られるところのようです。私のカメラにも偶然に近いのですが、映画の1場面の

ような物が撮れていました。如何でしょうか。

さてこの後は町の一角の見晴らしのいいところに案内され、市街と地中海を見下ろ

す場所で写真を撮りました。

20_7

20_6

後に、坂を登って、マルセイユの唯一の観光ポイントのノートルダム・ド・ラ・ガ

ルド(守護聖人)教会に行きました。これはこの町のどこからでも見える丘の上に

立って居り、ここからの展望は市街と地中海を一望の下に治める最高の場所でし

た。

やがて観光を終わり、船に帰り、昼食。日程表には、サン・ジャン要塞。サン・ニ

コラ要塞の下車観光とあったがこの観光は行われなかった。

この日の観光は、正直言って、あまり意味ない観光だったような気がする。南フラ

ンスの町ならもっと良い候補が沢山あった筈だ。文句を言いたいところだが、承知

でこのクルーズを購入したのだからまあいいか。

20_2

とはいえ、申し込み段階では寄港地の名前は明示されていますが、そこでの観光の内容は殆ど分かりません。寄港地での観光の内容がかなり詳しく知らされるのは、出発の10日前後に送られる旅行の日程表によると言うことになっています。

これはクルーズ以外のパッケージ旅行でも同じことなので、特別悪いわけでも無いように見えます。何故気になるかというと、クルーズの場合は、その寄港地での観光内容が、かなり大胆に省略されてしまう場合が多いように感じるからです。良い例が次の寄港地のフィレンツエの場合です。

ここではこれくらいにして置きましょう。

 

2009年1月 3日 (土)

地中海・エーゲ海クルーズ紀行

第2章バルセロナ市内観光と乗船

クルーズ第1日目は東京からバルセロナへ。そして現地ホテルにチェックイン。ここまでは移動だけ。第2日目はバルセロナ観光。そしてエメラルド・プリンセス乗船である。

昨夜バルセロナ新市街のメリア・バルセロナにチェックイン。添乗員のTさんの指示に従い:ホテルでユーロのチェンジ、その他船のロケーション図で自分の部屋の場所の確認とかクレジットカードの登録などを行った。

今朝は、普通のパッケージ旅行の場合と同じくバスに同乗してバルセロナ市内観光である。

私達は一昨年スペインの観光でこの町は観光済みなので、乗船までの時間つぶしと言ったところ。

でも何か新しい物に出会えるかと思ったが、何しろ時間がないので、鬼才ガウデイ設計の「グエル公園」。同じくガウデイ設計でまだ未完成の「サグラダ・ファミリア」の2箇所の観光だけ。後はこれもガウデイ設計の「ミラ邸」をバスの車窓から2020_2観光。これで市内観光終了。20_3後は、港で待つエメラルド・プリンス号へと一直線。

 

写真はまずはグエル公園のガウデイの細かいタイルを貼り付けて公園のシンボル的な存在になっている「トカゲ」(いや、鰐だったかも)。それからサグラダ・ファミリアの100メートルを超える塔の姿。を貼りました。

それから、3番目は観光で気になった工事中の建物。立派なビルが完成しているように見える。これが実は工事中のビルなのです。

確か2018年。ウイーンでも同じようなものを見た。日本ではあまり綺麗でないキャンバス風の布で目隠しするのだが、さすが観光都市しっかりと完成後のイメージを絵に描いてある板か生地か分かりませんが、それでカバーしてあるのですね。感心しました。日本でもやっているのかもしれませんが、私は見たことがないので、紹介しておきます。

私達はクルーズ初体験なので、一昨年の市内観光に比べ、今回の市内観光があまりにあっさりと終わったので、「これでいいのか」と言う感じでした。まだこの町には「ピカソ美術館」や「モンジュイックの丘」その他の観光ポイントがあるのに・・・。

でも3000人を超える乗船客とその荷物を最低でも夕食前にそれぞれの自室に送り込まなければならない。そして船内での生活のルールなど、全員にオリエンテーションしなければならない船の都合があり。確かの今日のバルセロナ観光はこのような不完全打ち切り方で仕方がなかったんですね。

クルーズは、船だからいいこともあるのだが、船だから不便なこともあるのでした。

観光バスは早々と観光を切り上げ、港に行き、私達は空港での所持品検査同様の検査を受け、それぞれ自分のクルーズ・カード(船の中で通用するクレジットカードと部屋の鍵の役割を持っているカード)を受け取り、しばらく食事および休憩の後、グループごとに船の中での生活の仕方についてオリエンテーションを受け。船の諸施設の見学を済ました。

なんとも忙しい最初の一日でした。

何しろ今日は3000人の乗客が船に殺到するのだから、のんびり観光なんてしていられない。といった感じ。私も一度に3000人の観光客が乗降する10万トンもする客船が作り出す人の流れやバスの移動の状況がどんなものかと思っていましたが・・・・。

乗船は、思っていたよりも順調に進んだように思うが、バルセロナ市内観光がまるでガウデイ観光のようで、船の運航のために観光が2次的に扱われているのは気に入らない。

例えば、モンジュイックの丘の観光は切られても我慢できるが、一昨年の観光で、見てよかったと感激した「ピカソ美術館」を外してしまったのは、私がもし、バルセロナを初めて観光した客であったなら、許せない省略である。

乗船が大仕事なのは分かるが、観光の中身が省略されているのは許せない気がする。

知らないから誰も文句は言わないが、そんなことでいいのだろうか。

まあ、クルーズという旅行の形態が始まったばかりなので色々と問題はあるが、お客がクルーズにはこういう問題点があることを分かって、参加することでなければならないと思う。

何か観光と船の運航とのせめぎ合いを検討しなければ乗客の不満足がクルーズの足を引っ張ることになりかねない。このことは以後の観光でも問題になってくるの

だ。

20_4

写真は観光バスから降りて乗船を待つ私達。写真の正面に見えているビルのようなものが

エメラルド・プリンセス号だ。大きい船だ。

2009年1月 2日 (金)

地中海・エーゲ海クルーズ紀行

第1章:初めてのクルーズ旅行。

毎年1回家内と一緒に海外旅行。リタイア以後の計画としてハワイを振り出しにヨーロッパ・アメリカなどのパッケージツアーに参加してきました。しかし、体力・財力を考え、昨年の中欧旅行(チェコ:スロバキア:ハンガリー:オーストリア:パリ)を最後に今年(平成20年)からは海外旅行なし。と決心していました。

ところが、平成19年にご一緒したツアー仲間に誘われて結局クルーズ旅行に行くことになりました。

誘われて立ち上がったクルーズ旅行。最初は受動的でしたが、地中海・エーゲ海・中心のクルーズを選んでからは、まだ見ぬ青い海・白い町並みギリシャ・アテネ・イスタンプ-ル・・・・など旅行案内書やインターネットで調べるに従って夢が膨らんでゆきました。

クルーズ商品を選ぶ過程で誘って下さった方とはニーズが一致せず、結局別々のクルーズに参加することになり、大変残念でもあり申し訳ないことになってしまいましたが、旅行への期待や希望は他の方と完全一致は難しいものでやむを得ませんでした。

さて参加を決めたクルーズは、JTBの「エメラルド・プリンセス号(2007年就航の新造船:寄港地観光付ベストコース地中海・エーゲ海)15日間」と言うもので期間は920

日発104日帰着でした。

Photo_2

スペインのバルセロナまでは飛行機で行き。バルセロナ発、イタリアのベネチュア終点で、経路は図に示す通り、5カ国10都市をめぐる15日のものでした。

なお、船はエメラルド・プリンセス号で船籍はバミューダでしたがアメリカの会社のものとの事でした。どうしてアメリカの船がバーミューダ船籍なのかこの辺のことは分かりません。多分税金だとかその他法律や規則上でそのほうが有利なのでしょうね。

総トン数:103千トン::全長:290メートル::最大幅:36メートル::乗客:3080人:

今までのクルーズ船は大体5万トン前後ということなので凄く大きいのでしょうね。

Photo_3

ところで、最近では衛星テレビで「世界の船旅」(BS朝日)などで、クルーズが紹介されていますが、私達にとってクルーズは全く初めて、正直言ってよく分かりませんでした。

JTBでは銀座のオフィスでミスタークルーズと言われる斉藤さんがオリエンテーション

をしてくれると言うので参加。30人くらいの方々とクルーズのお話を聞かせてもらいましたが、申し込み済みのものは私達2人のみで、皆さんは見込み客。どうしてもクルーズの良いお話ばかり、残念ながらあまり焼くには立ちませんでした。最近のテレビの「世界の船旅」ではかなり良く紹介されていますが、やはり広告宣伝のものなので良い事尽くめ。

確かにいいのですが、参加者に役立つのはむしろ欠点。とか問題点。注意点。など聞きたいところですがね。

ともあれ、出発時点まではクルーズの良い点をしっかり吹き込まれました。以下にそれらのクルーズのいいところをまとめて見ましょう。

クルーズ旅行のいい点

     移動に伴う荷物の出し入れや整理が要らなくなる。

  これは第1番に上げられるメリットですね。毎日移動があってほえるが変わ

 り、スーツケースの中を毎日ほじくり返す。忙しい上に何がドコにあるか

  分からなくなる。私達は最近連泊のあるコースを選ぶようになってしまい

   ました。

  クルーズの場合は、ホテルを引っ張って旅行しているわけなのでこの問題

  点を完全にクリアできるわけ。大いに期待しました。

     自分の部屋:レストラン:色々なエンタテーメント設備:各種商店:が一体になっているので(殆どは無料で)観光のない時間も有効に楽しく過ごすことが出来る。また他の乗客との交流を促進する行事も沢山あるので、楽しい時間を過ごすことが出来る。

     広範囲の観光地を短時間にカバーできる。夜、寝ている間に次の観光地へ移動するので、移動時間を節約して広範囲の旅行が出来る。

     病気発症のときは安心。船内に開業医レベルの医務室があり、簡単な病気に対応できる。これは高齢者にとっては大いに有難いことである。しんどい時は観光をスキップして自室で静養できる。これもバス:列車:飛行機などで移動する他の観光方式に対し絶対の安心方式である。

     対象観光地が海岸近くにある場合には、海から接近する景色などを楽しめる。

今回のクルーズでベネチュアへの入港時には陸上からの接近では見られない

風景を楽しむことが出来た。

以上大まかな利点を上げて見た。私は元気ではあるが、81歳ともなると①④の利点は大いに評価したい。もっともこれらの利点の裏には欠点も大いにあり、

今後の旅行に何時もクルーズを選ぶかと問われれば、YESもNOもあるのは当然である。問題点は以下のブログの中でその都度、具体的に指摘して行くつもりである。

2008年6月18日 (水)

ベルサイユ宮殿(4)この旅行の最後編

建物の説明はありませんでしたが、ここにある樹の説明がありました。大きな植木鉢のような物に植えてありますが、天候によって、戸外から内に入れたり出したりするのだそうです。

素晴07__50168らしい07__50169・庭園の育成や管理には当然そんな心遣07__50170いがいつようなんでしょうね。

07__50171    

王妃の劇場の入り口の部屋。丸天井の凝った造りです。広大な庭の中には立派な劇場があるのです。

その入り口の両脇においてある日本の神社の狛犬みたいな物。顔が人間の他は狛犬ソックリ。どうしてこういうものがあるのだろか??不思議な彫刻ですね。ガイドさんに聞くことを忘れていました。何方か分かる人教えて下さい。

07__50172

07__50173

07__50174場の舞台。この舞07__50175台を使って歌劇のようなものをやった時の状況をテレビで紹介していた。

 

劇場の建物。立派な丸天井。

こんな立派な独立の劇場を宮殿の中に持つ例は殆どない。まれに宮殿の建物の中に劇場を持つ例はオーストリアのチェスキークロムルフ城などあったが特別だ。

こんな贅沢がフランス革命の引き金の一つだったかもしれない。

07__50182

もう1回傍を通過したので写真を撮った。これがプチ・トリアノンの宮殿だ。余り大きな物ではない。

しかし、建築家A.J.ガブリエルが設計を、彫刻家H・ギベール

ギベールが装飾を造園家リシャール父子が、と一流アーテストの手にかかったものだけに見事だ。

何と庭園の中に教会もありました。こうなると何があっても驚かなくなてしまいますがね。

07__50180

07__50181

当たり前のことだが、花壇が美しい。

左に岩山があり、全体にフラットなフランス式庭園に日本庭園のような趣を添えている。右にある建て物は見晴台である。

この近くに洞窟があったのだが、写真に撮り忘れた。残念。王妃と愛人がデートをした場所ではないかと言われている所である。

プチ・トリアノンの写真もそうだ。こちらは前の庭園がないので裏側であろうか07__50183。ぐるぐる忙しく、グル07__50184グル07__50185観光しまくったので分からなくなってしまった。

ようやく忙しい観光を終った。と言う所でフレッシュ・オレンジジュースの売店があった。全員が渇きを癒しに押しかけ、お兄さんは忙しい。

見事に手入れされた木立の間の道を歩いて庭園の裏口のような所に出て、待っていたバス07__50186に乗り、帰途07__50187に付く。これでベルサイユ第2回目の観光は無事終了陽子の目的達成07__50188だ。

   

パリへ帰った。エッフェル塔は今日も観光客の行列だ。アレクサンドル3世橋の金色の天馬がまぶしい。コンコルド広場のオベリスクを遠くに見ながらコンコルド橋を渡ってマイバス社の07__50190_2前に帰り解散。

07__50189

07__50193

プリマ目標の若いバレリーナも振り返りながら別れていった。「さようなら」「さようなら」

観光を済まして、ホテルに帰り、2205分シャルル・ドゴール空港発。JL416.

181655分成田着(飛行時間11時間50分)帰りの出発時刻が遅かったので巴里はタッ07__50196プリ3日たのし07__50198めることが出来た。07__50199

   

余りいい印象をもてなかった「ホテル・スクリーブ」

だが、さようなら。記念の写真。

陽子お07__50202気に入りのシ07__50204ャルル・ドゴ07__50205ール空港さようなら。「オ・ルボワール・パリ」

   

もう日本が近い。

成田エクスプレスで藤沢へ

そして大阪へ

2008年6月17日 (火)

ベルサイユ宮殿観光(3)

宮殿の内部の観光は終わり。これからが今回の再度のベルサイユ観光の目的である宮殿の周りの庭園や構築物の観光である。ガイドさんが熱心でかなり詳しく、案内してく07__50114れた。07__50119沢山歩いて、歩き疲れ07__50120たくらいだった。

宮殿内見学のあと、若干の自由時間をすごし、北側のミニトレインの駅で集合。トレイン出発までに撮った写真。

大運河方向を向いて全景を撮った。真ん中上空に「かもめ」らしいものがタイミングよく入った。

07__50116

ミニトレイン駅から宮殿の全景を撮った。

120:これが庭園内を走るミニトレインだ。

その他07__50122は陽子を撮っ07__50124たもの。周りが美しいので、人間はなかなか上手く撮れない。

 

ミニトレインを大運河の畔で下車。レストランで昼食。

昼食を終って出てきたところを写した。

大運河を07__50125背景に陽子を撮った。完全逆光で顔が見えない。

07__50126

レストランから大トリアノンまで歩く。並木の中を芝(?)

の通りが続く。しかし我ら観光客はこの芝の通りを歩くわけではない。この通りの左サイドの並木の所にある舗装もない道を行く。

やがて大07__50127トリアノンに07__50129到着。

 

鏡の間:鏡が装飾に使われているので、鏡の間と呼ばれている。この部屋は、トリアノン左翼棟に住んでいた王子達の大広間として使われた後、ルイ14世、そしてルイ14世の皇太子、革命後はナポレオンの母后、皇后妃マリールイーズ、最後にルイ・フィリップが住んだ。

三番目の写真で赤い装飾のあるものは王又は王妃の寝室で07__50132ある。

宮殿の真ん中にある列柱回廊外壁や柱はルイ14世が薔薇色の大理石に変えさせた。前庭を見07__50133渡せる見事07__50134な回廊である07__50135

 

撞球台のある部屋、ルイ14世は玉突きがスキだったという。

その右の写真。ここでは王・王妃・王の家族の一家団欒の部屋だった。

ここ07__5013607__50137テーブルには、3枚目の写真07__50139に見られるように鍵付きの引き出しがあり、個人の物入れになっていた。

   

王の愛した見事な碧玉の壷。

ここにも見事な回廊がある。

戸外は花の競演。

07__50141

そして陽子と一緒の可愛いお嬢さんは、英国居住でバレー学校を卒業し、パリ居住の叔母さんの家を訪ねて、このツアーに参加した、プリマを目指す若きバレリーナ。

以上で「グラン・トリアノン」の観光を終わり、マリーアントアネットがこよなく愛したという、「プチ・トリアノン」との観光に移る。

プチ・トリアノンの大会食の間。お供の間。寝室。内殿。トイレなど。

07__50146 07__50147

07__50148_2

07__50149

07__50150 07__50151

プチ07__50152・トリアノ07__50153ンの宮殿の中から出07__50154て、庭園や「王妃の村里」などの観光を続ける。

 

上の3点は愛の殿堂

そして王妃の村里に移動して行く。これはマリー・アントアネットの農家である。右側107__50157調理室。207__50161階が彼女の居室だったそうです。その右の写真は、はこの農家の遠景です。

 

下の写真の一番左は水車小屋。その右はマルルボローの塔。これは王太子の乳母ポワトリーヌ夫人が流行させた歌の題名から取った名前だそうです。塔の上から釣りを楽しむことが出来たので「釣り場の塔」とも呼ばれたとのことです。

塔の右側の家は「酪農場」

07__50159 07__50162

07__50158

池にはアヒルが泳いでいました。この後はプチ・トリアノンの宮殿から離れて、広い敷地のアチコチを見て行きます。

野良猫のような猫が現れました。我々観光者を気にも留めず悠々と草原の中を歩いてゆきました。野良猫と言っても血統証付きの、アメリカンショート・ヘアみたいな猫です。ただの野良猫ではないぞ、とばかり威風堂々の感じです。

07__5016607__50167 

最後に「王妃の村里」を一望に見る場所がありました。

«ベルサイユ宮殿観光(2)

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